2008/8/17 日曜日

名掛丁自由通路

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:24:39

仙台駅東口の住民・利用者が待ち望んでいた「仙台駅北部名掛丁自由通路」が完成しました。これは本当に喜ぶべきことです。

仙台駅から真っ直ぐにX橋(宮城野橋)まで抜けることができる通路も同時に開通しました。右側がエスパルⅡ、左側がPARCOです。AERに行くときの近道です。
エスパルⅡとPARCOの間の通路

ここが自由通路の西口。明るくてきれいです。入り口の右側はエスパルⅡです。
名掛丁自由通路西口

古い地下道もまだ利用されています。新旧の通路の西口です。
新旧の自由通路

新しい「名掛丁自由通路」を真っ直ぐ東に進むとこんな光景に出会います。向こうの道路は「名掛丁自由通路」を挟んで中央通りと一直線につながっています。
さらに東へ

名掛丁東出入口、旧地下道の東口です。上の部分が新自由通路です。
名掛丁東出入口

2008/8/16 土曜日

東北農政局 仙台政府倉庫2

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:43:47

「仙台政府倉庫」の跡地利用や、市民の反応については、河北新報の2月7日の記事移転先「政府倉庫」敷地に決定 仙台・追廻住宅をご参照ください。さすがにプロ、よくまとまっています。

ところで、私が仙台市民になってから仙台市長は3回替わりました。それにしても、仙台市は古いものを残したがりませんね。仙台市くらいの規模だったら古いものと新しいものの調和を図りながら発展を目指すのに丁度良いと思うのは素人考えなのでしょうか?それとも、天下を取れなかった伊達政宗公の怨念でしょうか?

お盆休み中に撮影した、解体現場のちょっと寂しい写真をアップします。
東北農政局宮城野庁舎の門から撮影しました。2棟が辛うじて形を残しています。
仙台政府倉庫1

円護寺という近くのお寺の境内(少し高台になっています)から撮影した解体現場。中央の建物が東北農政局宮城野庁舎です。
仙台政府倉庫2

これも円護寺の境内から。前の写真でも左の方に写っていますが、倉庫のゲートでしょうか、一つだけポツンと残されています。
仙台政府倉庫3

工事用のフェンス越しに撮影しました。12棟あった倉庫のうち10棟はほとんど影も形もありません。
仙台政府倉庫4

ちょっとアップで撮ってみました。暗い大きな穴の横で「8」という数字が寂しげです。
仙台政府倉庫5

こちらのブログが「仙台政府倉庫」の解体前の凛とした姿をきれいな写真で紹介しています。是非ご覧ください。

2008/8/15 金曜日

東北農政局 仙台政府倉庫

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:54:38

宮城野区新田二丁目の「仙台政府倉庫」は、解体を惜しみ保存を望む声をよそに解体作業が進んでいます。この倉庫群は、もともと昭和11年(1936年)に仙台市が建設して農林省に寄付したものです。昭和48年までは東仙台からの鉄道引込み線も敷かれていました。

以前紹介した国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムから、1975年(昭和50)と1984年(昭和59)の航空写真をダウンロードし、ほぼ同じ範囲が同縮尺になるように加工しました。いずれの写真もクリックすると別ウィンドウで大きな画像を見ることができます。

まず、1975年(昭和50)の写真です。国土情報ウェブマッピングシステムの、ファイル名「cto-75-28_c7b_20.jpg」(400dpi)のデータを基にしています。
仙台政府倉庫19751975年(昭和50)

次に、1984年(昭和59)の写真です。国土情報ウェブマッピングシステムの、ファイル名「cto-84-2_c4_21.jpg」(400dpi)のデータを基にしています。
仙台政府倉庫19841984年(昭和59)

そして、3つ目はGoogleEarth(グーグルアース)による俯瞰図です。
仙台政府倉庫取り壊し直前取り壊し直前

さて、この施設が取り壊されたことについては、一言言いたいことがあるのですが、それは現場の現況報告も含めて明日の投稿で。

2008/8/14 木曜日

うまい棒 牛タン塩味

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:20:26

駄菓子の定番“うまい棒”、1本10円という値段を死守していますが、これには実は秘密があって、原材料費の変動に合わせて重さやサイズを変えているそうです。昨今の原油や穀物の価格高騰もあり、昨年8gから6gに、なんと25%も減量されてしまったそうです。考えようによっては、“うまい棒”の最大のお得意様である子供たちにとって、1個の値段が12円とか13円とかというよりは、多少小さくなっても1本10円の方がいいかもしれませんね。

ところで、スーパーでこんな“うまい棒”を見つけました。「牛タン塩味」です。どこぞのネコ型ロボットに似ているパッケージのキャラクター(“うまいえもん”という名前で、“コスプレ”が趣味だそうな)は、紛れもなく「独眼竜政宗」ではないですか!ご丁寧に下の方にはお城の絵まで・・・。ちなみに、この“うまい棒”の味は、販売元「やおきん」の公式サイトによれば

味も斬新、牛タン塩焼きのあの、香ばしさを表現、またレモンの
味もプラスされ、最高~! これは早く食べてみないと、話題に
乗り遅れるかも・カモよ!

だそうです。“うまい棒”についてのトリビアな情報は上記の「やおきん」の公式サイトの外に、次のサイトも覗いてみてください。
うまい棒 -Wikipedia-
お馴染みのWikipediaです。ただ、“牛タン塩味」が「現在は発売されていないフレーバー」にリストアップされているのは間違いかしら?

やおきん公認うまい棒総合サイト  うまい棒同盟
“うまい棒”についての情報量は最大級。2000年初めには“うまい棒”の重さは約10gだったなんていう情報もあります。

2008/8/12 火曜日

ゼライス おまけ

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:04:04

「ゼライス」の原料は、当初は鯨油を採った後の廃棄物(鯨骨)でしたが、現在ではご存知のように鯨を自由に捕れる時代ではなくなっています。(今日のニュースでザトウクジラが絶滅の危機を脱したそうですが、クジラを取り巻く状況が大きく変わるわけではありません。)

「ゼライス」の主成分であるゼラチンは、コラーゲンを分解して得られる純粋な動物性たんぱく質です。現在このコラーゲンは主に豚の皮から抽出されています。

ちなみに、「ゼライス」の語源は「ゼラチンを冷やして(ice=アイス)食べる」あるいは「ゼラチンを愛す(アイス)」という意味から、「ゼラ+アイス→ゼライス」 となったそうです。

2008/8/11 月曜日

ゼライス

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:25:56

私は趣味でパンを焼いたり、お菓子を作ったりします。最近は忙しさにかまけて、たまにピザを焼くぐらいですが・・・。各種ゼリーはもちろんですが、レアチーズケーキやムース、ババロアなどを作るときにゼラチンを使います。その際によく利用するのが「ゼライス」。 この「ゼライス」を製造販売しているのがゼライス(株)、本社は若林区にあります。この「ゼライス」は、家庭用ゼラチンの代名詞になっていますが、なんと国内シェアの約80%を占めているのです。

かつて、捕鯨が盛んだった頃、鯨油を採った後の残りはゴミ同然でした。1941(昭和16)年、東北帝国大学 (当時)の協力を得て、鯨骨を原材料とするゼラチンを製造する企業宮城化学(株)が設立されました。ゼライス(株)の前身です。今で言う“産学協同”の先駆けですね。最近では、コラーゲン・トリペプチドという製品が、美容や健康、スポーツに大変注目されています。

ところで、ゼライス(株)の情報を収集していましたら、 IVICT(財)東北産業活性化センターという組織が発行している資料に興味深いものを見つけました。東北の「光り輝く」企業たち2007年版という小冊子です。副題は「日本一・世界一シェア企業についての調査報告」。現在取り寄せているところですが、上のリンクからPDF版が閲覧できます。東北の県別のデータが載っており、こんなナンバー1もあるんだと感心させられると同時に、東北もやるもんだと勇気付けられました。

2008/8/10 日曜日

河原町とヴォンエルフ

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:00:05

今日は奥州街道を、長町~永町橋(広瀬橋)~河原町~南材木町と歩きました。下の写真は河原町の「丁切根」があった辺りの道路の様子です。このような道路を“コミュニティ道路”といいます。
ボンエルフ
河原町のコミュニティ道路(奥州街道の一部です)

“コミュニティ道路”というのは、自動車の通行を主たる目的とはしない道路のことで、道路は歩行者、自転車の交通のほか、近隣住民の交流や子供の遊びなどにも用いられます。“歩行者専用道路”とは異なり、自動車の通行が完全に禁止されるわけではありません。コミュニティ道路がまとまって整備された地区を“コミュニティゾーン”と呼びます。

コミュニティ道路では、次のようないろいろな手法を用いて自動車の速度を抑えます(歩行者の速度程度)。

  1. 車道の左右に交互に花壇や駐車スペースなどを設けて車道を蛇行させる。
  2. クランクを設けたり、また車道を部分的に極端に狭くする。
  3. 道路を凸型に盛り上げる(バンプといいます)。
  4. 路面の塗装による視覚的な効果を利用する。

かなり前に、宮城野区の原ノ町本通りが採用しました。でも、どんな理由だったか忘れましたがいつの間にか無くなってしまいました。河原町地区のコミュニティ道路を見つけてとても好感を覚えました。生活道路での交通安全をにはとてもいい方法だと思います。ちなみに、原ノ町のはバンプがありましたが、河原町のはバンプはありません。

コミュニティ道路の起源はオランダの“ヴォンエルフ(ボンエルフ)”で、住民たちが生活道路に車が進入するのを防ぐために花壇や敷石を置いたのが始まりだそうです。仙台でももっと広まるといいですね。

2008/8/9 土曜日

仙台輪中 またまたつづきのつづき

Filed under: 仙台藩 — dandolino @ 22:49:43

昨夜はこのブログを書き始めて間もなく激しい睡魔に襲われ、仮眠してから再開しようと思いましたら朝までぐっすり眠ってしまいました。仙台弁で「きどごろねすてすまったのっしゃ」。

さて、仕切り直しをして続けます。

前々回の投稿で「丁切根」については興味深い話がありますと予告していました。
手持ちのいくつかの資料やWebでの情報をまとめると、

  • 町のはずれ(端)には「丁切」という策が設けられて、夜分の警戒の備えとした。
  • 「丁切」のきわの屋敷は「どこ町の丁切根」と呼ばれた。
  • 河原町・八幡町・原町・堤町など城下はずれには扉のついた丁切が設けられた。

以上仙臺郷土研究「仙台藩歴史用語辞典」より引用

  • 河原町(城下)と在郷の境は小西邸の南境であった。
  • 小西邸前にはチョウギンネ(丁切根)と称する町木戸があった。
  • 奥州街道の仙在の境は堤町紹明寺門前である。

以上郷土史仙臺耳ぶくろより引用

さて、河原町の小西邸前の「丁切根」跡とされる場所には使途のような案内板が立っています。
丁切根跡案内板

「丁切根」跡案内板

丁切根拡大

五間(五軒)茶屋、永町(永町)橋と丁切根木戸

この丁切根木戸の鍵番は土地の地主「針生屋(針惣旅館)」で、針生屋は蒟蒻(こんにゃく)の粉と鳥モチの専売特許権を持っていました。
現在の針生家

針生家の店蔵

針生家は現在は旅館の営業はしていません。河原町、南材木町にはこのような蔵が多く残っています。

次に、北の仙在の境を見てみると、堤町と七北田の二つの説があります。これについてはさらに調査して報告します。なお、堤町の紹明寺は現在は無くなっているようですが、寛文4(1664)年(推定)の城下絵図には「淨明寺」、天保4(1833)年の御城下町割絵図には「紹明寺」と記載されています。

2008/8/8 金曜日

Google Map の新サービス

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:21:31

「仙台輪中」についてはもっと書きたいことがあるのですが、今日は一休みしてGoogle Mapの新しいサービスについて書きます。

8月5日に始まったGoogle Mapの新しいサービス試した方はいらっしゃるでしょうか?まだの方はまずGoogle Mapのトップページにアクセスしてください。画面の右上にストリートビュー、その他、地図、航空写真、地形という5つのボタンがありますね。最初の状態では「地図」ボタンが太字になっていると思います。このままの状態で画面左上のズームスライダーの+ボタンを押してみてください。仙台が少し右にずれましたね。地図をドラッグ(マウスの左ボタンを押したまま操作の対象を動かすこと)し、仙台を真ん中辺りに持ってきましょう。仙台市内の街路が表示されるまで+ボタン~ドラッグを何回か繰り返します。ここで、新サービス「ストリートビュー」ボタンをクリックします。街路の両サイドが青くなります。青くなった街路のどれかをクリックしてみてください。別ウィンドウでその街路の様子が静止画で表示されるはずです。この静止画はあらゆる方向にドラッグでき、見たい方向を見ることができます。また、矢印をクリックするとその矢印の方向に進むことができます。
下の画像は以前柳町 つづきで紹介した大日如来の門前です。奥州街道は手前から左手の方に曲がります。
Google Map ストリートビュー

下の画像で仮想散歩を体験することができます。画像のすぐ下の「大きな地図で見る」をクリックするとGoogleMapのサイトに跳びます。

大きな地図で見る

私は太白区西中田に住んでいますが、私の住むマンションの前の通りやマンションそのものがリアルに表示されてびっくりしてしまいました。実際、アメリカではプライバシー侵害ということで訴訟も起こされています。もし、ご自分の個人情報が表示されていたり、個人が特定できるような場合はGoogleに申し立てをして対処してもらった方がいいと思います。日本では現在、札幌、小樽、函館、仙台、東京、さいたま、千葉、横浜、湘南(鎌倉・藤沢・茅ヶ崎など)、京都、大阪、神戸の12都市・地域がサービスの対象になっています。

なお、このサービスについては、下記のニュースサイトなどで詳しく解説していますので、ご参照ください。

YOMIURI ONLINE
J-CASTニュース8/5
J-CASTニュース8/6

2008/8/7 木曜日

仙台輪中 またまたつづき

Filed under: 仙台藩 — dandolino @ 23:06:00

6月14日の私が住んだ町という記事を書いた際に、当ブログのお客様から「仙台城下」の境界線(最近覚えた用語で「仙在の境」)はどこかというご質問をいただいておりました。限られた時間を利用していろいろ文献を調べてみたのですがなかなかみつかりませんでした。仙台市史を調べればすぐにわかったかもしれませんが、残念ながら手元になく、調べに行く時間もありませんでした。(言い訳です)
ところが、「仙台輪中」のことを書き始めましたら、前々回に紹介した故三原良吉さんの著書郷土史仙臺耳ぶくろに「仙在の境」の話を見つけました。
その部分を引用します。

(前略)そのころの仙台洛中は今とちがって狭いものであった。これを城下に集中する主要な街道について仙在の境をいうと、関山街道は茶屋町の西、荒巻文殊堂に越える聖沢、根白石街道は北山羽黒堂前、奥州街道は堤町紹明寺門前、塩釜街道と東浜街道は榴が岡の原町米蔵(今の仙台管区気象台)前の坂ノ下、これと前期の深沼街道の新寺小路導仁寺前、江戸道中の河原町小西邸前である。(後略)

各仙在の境には木戸(仙台藩では「丁切(ちょうぎり)」または「丁切根(ちょうぎんね)」といいました)が設けられ、夜間の備えとしました。また、特に往来の多かった4ヶ所には藩の御仲下改所(おすあいどころ)という役所が置かれ、通過する貨物から「仲役(すあいやく)」という関税を徴収していました。「丁切根」については興味深い話がありますので後日取り上げます。また、今回引用させていただいた地名などについては追跡調査をしてご報告します。

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