仙台輪中 またまたつづきのつづき
昨夜はこのブログを書き始めて間もなく激しい睡魔に襲われ、仮眠してから再開しようと思いましたら朝までぐっすり眠ってしまいました。仙台弁で「きどごろねすてすまったのっしゃ」。
さて、仕切り直しをして続けます。
前々回の投稿で「丁切根」については興味深い話がありますと予告していました。
手持ちのいくつかの資料やWebでの情報をまとめると、
- 町のはずれ(端)には「丁切」という策が設けられて、夜分の警戒の備えとした。
- 「丁切」のきわの屋敷は「どこ町の丁切根」と呼ばれた。
- 河原町・八幡町・原町・堤町など城下はずれには扉のついた丁切が設けられた。
以上仙臺郷土研究「仙台藩歴史用語辞典」より引用
- 河原町(城下)と在郷の境は小西邸の南境であった。
- 小西邸前にはチョウギンネ(丁切根)と称する町木戸があった。
- 奥州街道の仙在の境は堤町紹明寺門前である。
以上郷土史仙臺耳ぶくろより引用
- 泉区七北田の旧七北田宿北端には「丁切根」という屋号のお宅がある。
以上百街道一歩の道中記 奥道中1仙台~吉岡より引用
さて、河原町の小西邸前の「丁切根」跡とされる場所には使途のような案内板が立っています。

「丁切根」跡案内板

五間(五軒)茶屋、永町(永町)橋と丁切根木戸
この丁切根木戸の鍵番は土地の地主「針生屋(針惣旅館)」で、針生屋は蒟蒻(こんにゃく)の粉と鳥モチの専売特許権を持っていました。

針生家の店蔵
針生家は現在は旅館の営業はしていません。河原町、南材木町にはこのような蔵が多く残っています。
次に、北の仙在の境を見てみると、堤町と七北田の二つの説があります。これについてはさらに調査して報告します。なお、堤町の紹明寺は現在は無くなっているようですが、寛文4(1664)年(推定)の城下絵図には「淨明寺」、天保4(1833)年の御城下町割絵図には「紹明寺」と記載されています。
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