2008/11/30 日曜日

斎藤報恩会館の写真

Filed under: ネタ本, あちらこちら — dandolino @ 0:00:00

仙台市中心部周遊散策コースで紹介した斎藤報恩会館の写真を見つけました。出典は、「目で見る仙台の歴史」(仙台市図録編纂委員会、昭和34年発行)です。当時の価格が1,000円。ちなみに、昭和34年当時の白米の値段は5kgで100円ほど、現在は2,000円くらいですからざっと20倍。ということは1冊20,000円の豪華本ということになります。もちらん私のは古本です。この写真と比べてみると、前の文録で紹介した模型は実に良くできていますね。
斎藤報恩会館

2008/11/29 土曜日

3歩で5,000年は来年

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:58:46

亜炭が懐かしいで紹介した名取川の河床の様子を早く皆さんにお見せしたいと思い撮影に行きました。ずっといい天気が続いているので、川はさぞかし水不足でカラカラになっているに違いないと思って行ったのです。ところが、ご覧の通りの豊かな水量。それでも河床を平行に斜めに走る露頭の様子はなんとかわかりますね。
近くで農作業をしているおじさんにお聞きしたら、もっとも水が少なくなるのは5~8月の田んぼに水を引く時期なんだそうです。来年のその時期に期待しましょう。
名取川河床の露頭

2008/11/28 金曜日

亜炭と山内ピッケル

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:50:36

亜炭とピッケルというお約束したタイトルで書きます。
このブログをご覧の皆さんはこの二つの間の関係をおわかりになったでしょうか。じつは、亜炭を採掘するときに絶対に必要なもの、それは鶴嘴(つるはし)です。“鶴嘴”と“ピッケル”は似ていませんか。山内ピッケルで世界的に有名な山内東一郎さん(1966年76歳で死去)は優れた技術と探究心で、まさに芸術品といえるようなピッケルを作られましたが、実は生活用具も作っておられました。青森県の出身ですが、縁あって、東北帝国大学の金研(金属材料研究所)に勤務し試作研究用器具の鍛造及び熱処理等の仕事をしていました。
やがて、当時はまだ一部の恵まれた人々の趣味であった登山道具の一つであるピッケルに出会い、ピッケル作りの道に入ります。1926(大正15)年、東北帝大をやめて仙台市良覚院丁(現青葉区大町)に自分の工場を持ちます。第二次世界大戦後は、追廻住宅に移られ、そこで仕事を続けました。その間山内さんの、ピッケルの評価は世界的にも非常に高まりましたが、採鉱用ハンマーとか採掘用の鶴嘴などの道具の製作や補修もされていました。この辺りの経緯や、様子は他の方がサイトで紹介しておられるのでそちらをご覧ください。
小さな山道具館 ピッケル、アイゼン、ストーブなど山に関する道具の話が盛り沢山。
左のメニュー「ピッケル」→「世界のピッケル」→日本「山内(Yamanouchi)」とリンクをたどってください。
野鍛冶一代 山内氏に続く鍛冶の名人二村善市(銘:吉則)氏のWebサイト。
画面をクリックし、「自伝 野鍛冶一代」→「ピッケル」とリンクをたどってください。
もう少し書きたいのですが、また後で加筆します。

2008/11/26 水曜日

埋木 補遺

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:57:27

今週は亜炭に終始しそうです。

一昨日の投稿で、亜炭や埋木細工の始まりについて、

“文政5年(1822)に、仙台藩の足軽山下周吉が青葉山を警備中に光沢のある不思議な素材を見つけて持ち帰り、それを持ち帰って掻敷(かいしき)を作ったのが亜炭採掘の始まりであり、仙台名産埋木細工の始まりであるとされています。”

と書きました。この記述は「市史せんだい vol.12/2002.7」特集“仙台の燃料事情 5.研究ノート 亜炭さまざま 相原陽三”を参考にさせていただきました。今日、手持ちの資料・文献を調べてみましたところ、埋木について次のようなことが分かりました。

  1. 旗本足軽山下周吉は仙台城の後ろの竜ノ口渓谷の亜炭層から亜炭を発見した
  2. 山下周吉は旗本足軽の内職として採掘許可を願い出たが、城の警備地域だったため許可されなかった
  3. 仙台藩は埋木の採掘を黙許した
  4. 当初は技術が十分でなかったこともあり市場価値はなかった
  5. 旗本足軽石垣勇吉が用刀を工夫して雅趣のある器物を細工するようになってから市場価値が高まった

以上、郷土史事典宮城県(佐々久編・昌平社発行・1977)を参考にしました。
ところで、埋木そのものは古歌にも詠まれており、山下周吉の新発見ではなかったようです。さらに、名取川の地層のことは昨日書きましたが、なんと、名取川は古くから歌枕として歌に詠まれており、たとえば鎌倉時代の新古今和歌集には、菽蓮法師の作として

ありとてもあはぬためしの名取川 朽ちだにはてぬ瀬々の埋木

という歌があるなど、“名取川”と”埋木”をセットで詠んだ歌がいくつかあるようです。“名取川の埋木”は昔から知られていたのですね。
では、埋木はどう利用されていたかというと、前述の郷土史事典宮城県によれば、埋木の灰は火持ちが大変良かったので香炉の埋火(うずみび:灰の中に埋めた炭火)灰に用いられたとのことです。茶道の家元では釜を沸かす炉に埋火をして一年中火を絶やさずに用意しておき、その残り火に炭を足して火を起こすそうです。

明日は「亜炭と山内ピッケル」の予定です。

2008/11/25 火曜日

亜炭が懐かしい

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:30:56

昨日も亜炭のことを書きましたが、夕方になると季節を問わずあちこちから漂ってきたあの亜炭を焚く匂いが本当に懐かしく思われます。もう、あの亜炭の匂いを嗅ぐことはできないんでしょうか。たとえば、ズリ山なんかで拾うことはできないんでしょうか。たしか、山下周吉さんが青葉山で最初に見つけたのは、地面に転がっていたかけらか露頭だったと思うのですが、そんな場所はもうないんでしょうか。

下の写真は花壇自動車学校の対岸にある広瀬川によってできた大露頭ですが、上の方の黒い縞はたしか亜炭層だったと思います。でも採取のしようがないですよね。もしかすると採取禁止になっているかもしれませんし。私たちがかつて自由に出入りし、探検し、化石を採取した竜ノ口は、現在は鍵のついた門があって自由に入れないみたいですから。
大露頭
画面奥が下流で、仙台市街地が見えています。

さて、下の写真はYahoo!地図から頂戴した航空写真です。川は名取川、川の上方(北側)は太白区富田になります。写真の真ん中あたりに川を斜めに横切る筋がたくさん見えます。実はこれは、上の大露頭ではほぼ水平になっていた地層なんです。この辺りでは地層が川の下流の方(東)に向かって30°~40°傾いているそうです。写真の左上にある“-”(マイナス)ボタンを押して、見える範囲を広げてみてください。川の上流にダムのような橋のような構造物が見えてきます。これは名取川頭首工といい、取水ダムの一種です。ここから上流はいつも水が満々と満ちているので地層の観察はできませんが、下流は渇水期であれば自由に歩くこともできます。ちなみに、名取川頭首工のあたりの地層はおよそ800万年前、1kmほど下流で500万年前だそうですから、2,3歩歩くと5,000年の時代を移動することになります。亜炭の話題から外れてるって、いえいえ実はこの下流側でも亜炭の層が観察できるんです。しばらく行っていないので今週末あたり行ってみましょうか。亜炭のかけらでも落ちていないかな・・・。

詳しい地図で見る

2008/11/24 月曜日

亜炭と埋れ木

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 23:34:20

私が卒業した仙台市立立町小学校は、学区が非常に広くて(学区参照)、広瀬川と竜ノ口沢(青葉区と太白区の境界になっています)に囲まれた、川内・青葉山の一帯も含まれます。

さて、私が小学生の頃は、冬の教室の暖房には亜炭が使われていました。中学生の時にはコークスに替わっていましたが、川内亀岡町や山屋敷、追廻にはまだ亜炭の鉱山がありました。中学3年のときだったと思うのですが、山屋敷に住む同級生(彼の父親は亜炭鉱山の鉱夫でした)に連れられて坑道に入ったことがあります。坑道は幅が2m弱、高さは大人がやっと立って歩けるくらいで、中央には運搬用のトロッコのレールが敷いてありました。

仙台では昭和30年代には暖房のほかに、風呂にも亜炭を使っていました。私は生まれが秋田県大曲市(現大仙市)ですから、法事などで1年に1回くらいは仙台を離れました。帰仙したときには亜炭の燃える臭いにああ帰ってきたんだという思いを強くしたものです。私にとっては亜炭の燃える臭いが仙台の臭いです。

ところで、仙台名産の埋木細工の原料と、亜炭とはほとんど兄弟のような関係です。亜炭のうち、より石炭に近い「炭質亜炭」が燃料用、木目がはっきりと残っている「木質亜炭」が埋木の原料になります。文政5年(1822)に、仙台藩の足軽山下周吉が青葉山を警備中に光沢のある不思議な素材を見つけて持ち帰り、それを持ち帰って掻敷(かいしき)を作ったのが亜炭採掘の始まりであり、仙台名産埋木細工の始まりであるとされています。ちなみに、掻敷(かいしき)というのは料理を器に盛る際、食べ物の下に敷く木の葉や紙のことです。埋木細工はその後、石垣勇吉の工夫改良によって仙台城下川内山屋敷の足軽の内職として定着し、重要な収入源となりました。現在、稼動している亜炭坑はないため、材料枯渇によって技術が消滅することが懸念されています。

2008/11/23 日曜日

登米から石巻までドライブ

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:54:36

昨日は登米の町を夕方5時頃に出ました。そのまま真っ直ぐに仙台に帰ろうと思ったのですが、妻が石巻に寄ろうと言うのでそうすることにしました。実は昨日利用するまでわからなかったのですが、三陸自動車道の鳴瀬から北が無料になっていたのです。したがって、鳴瀬から25kmほどは、高規格の信号のない道路を「無料で」快適に走ることができ、登米町の手前10kmほどだけ一般道を走ればいいのです。帰りはこの逆ですから、登米から石巻までは料金が掛かりません。

最初の目的は「サン・ファン・バウティスタ」号。実は、これも12月31日(水)までライトアップされているのです。しかも船に近づいたり、船内に入ったりすることはできませんが、ライトアップされた「サン・ファン・バウティスタ」号を見るだけなら無料。点灯時間は日没から20:30まで(12月24日は24:00まで)です。施設の正式名称は宮城県慶長使節船ミュージアム、Webページはこちらです。こんな写真が撮れました。
サン・ファン・バウティスタ

帰りは、石巻の街中を抜けることにして、岡田劇場(旧岡田座)、旧石巻ハリストス正教会教会堂、石ノ森萬画館などを見ながら(とはいってももうどれも閉まっていますが)帰ることにしました。

まずは岡田劇場の写真です。元はいわゆる芝居小屋だったところで、非常に歴史のある劇場です。
岡田劇場
岡田劇場のWebページはこちらです。

次は旧石巻ハリストス正教会教会堂。現存する木造教会堂建築としては日本最古のものです。
旧石巻ハリストス正教会教会堂

最後に石ノ森萬画館。大型のUFOみたいですね。
石ノ森萬画館

実はこの3つの建物はごくごく近くにあるんです。下の地図をご参照ください。

大きな地図で見る

2008/11/22 土曜日

はっと屋台村 in 登米

Filed under: だてな仙台検定番外編 — dandolino @ 22:30:21

今日は、登米まで行ってきました。登米まで行ったのは町を見物したかったのと、いろいろな「はっと」を食べたかったからです。

「はっと」は地方によっては「ほうとう」あるいは「ばっと」などとも呼ばれます。「すいとん」や「ひっつみ」などもほとんど同類の料理といっていいでしょう。いずれも、小麦粉の中力粉、いわゆる“うどん粉”を用います。登米では22日から24日まで、町内の「遠山之里」という物産センターで郷土料理「はっと」の屋台村が開設されています。会場の様子です。今日は風が冷たくて、戸外で食べるのは少し辛かったです。
はっと屋台村

「はっと」といっても非常に種類が多く、定番の「油麩(あぶらふ)はっと」を始めとして、「ニラはっと」や「カレーはっと」、さらには「牛筋肉入りモロヘイヤはっと」「するみ(サンマのすり身)はっと」「あずきはっと」まで10種類以上のバリエーションがあります。屋台村を拠点にして、町内の見物をしながら5種類の「はっと」をいただきましたが、どれもとても美味しかったです。

さて、このブログを読んでいる皆さんは“登米”をなんと読んでいますか。かつては登米郡登米町(とめぐんとよままち)でしたが、現在は登米市登米町(とめしとよままち)です。第4代登米館主伊達式部宗倫(むねとも)のときに、寛文事件いさゆる伊達騒動が起こりますが、なんとか切り抜けます。明治維新のとき奥羽越列藩同盟が薩長に敗れたために、第13代館主伊達筑前那教(くにのり)は8,000石の私有地を全て1,400戸余りの家臣に分け与えて帰農させました。仙台藩が62万石から28万石に減封されたり、会津藩が23万石から下北半島の斗南藩3万石に移封、挙藩流刑(藩ぐるみ流刑になること)という過酷な処分を受けて悲惨な運命をたどることになったのとは大きな違いです。

町内を歩いてみると伝統的な文物がよく残されていて、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。明治時代の洋風建築である、旧登米高等尋常小学校や旧登米警察署庁舎、江戸時代の武家屋敷など、さまざまな建造物がそれほど広くない範囲で見ることができます。この中から旧登米高等尋常小学校を紹介します。1963年(昭和38)に宮城県重要文化財に、1981年(昭和56)に国指定重要文化財になっています。

旧登米高等尋常小学校1
柱に古さを感じます。

旧登米高等尋常小学校2
ヴェランダのすぐ後ろが校長室だったそうです。ヴェランダに立つと全ての教室が見えます。

旧登米高等尋常小学校3
各教室は教育資料館として、教育に関する展示を行っています。これは蝋人形で再現した昔の授業風景。私の世代はこのタイプの机を使っていました。

旧登米高等尋常小学校4
今日はたまたまライトアップをやっていました。まだ午後4時なんですがこの暗さ、日が短くなりましたね。

2008/11/21 金曜日

もうクリスマス・・・

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 22:09:08

近所のといっても通勤の帰りに写真を撮ってきました。クリスマスツリーです。
まずは、アエルの1階ロビー。
アエル1階ロビー
ポインセチアを模した赤い葉が印象的です。ツリーのそばでは、解禁になったばかりのボージョレ・ヌーボーの試飲販売をしていました。今年のできはどうなんでしょうか。

次は2階ロビーです。
アエル2階ロビー
飾りのオーナメントは立方体の形をした小さなプレゼント型。イルミネーションは最小限しか使っていませんが、おしゃれで可愛いツリーです。

パルコの2階仙台駅側です。
パルコ2階
今回撮影した中では最も大きなツリーです。いろいろな種類のイルミネーションをふんだんに用いて豪華で賑やかな感じです。

エスパルⅡのツリーです。パルコのつりーと向かい合っています。
エスパルⅡ
球形のオーナメントと白色のLEDで、上品に仕上げられています。小振りですが、天井から床まで使ってトータルに仕上げられています。目立たないけど素晴らしい。パルコのツリーとは対照的です。是非見比べてください。

2008/11/19 水曜日

文化横丁

Filed under: あちらこちら — dandolino @ 23:44:09

仙台駅の総合案内所で、「文化横丁オフィシャルマップ」をゲットしました。

仙台には味わい深い横丁がいくつかあります。“ぶんよこ”こと文化横丁もその一つです。“ぶんよこ”には50店ほどのお店がありますが、仙台に50年住んでいる私でも数えるほどしか制覇していません。なくなった店もありますし、新しくできた店もあります。お店の情報については他でもいろいろ紹介されていますので、そちらをご覧ください。下の地図はクリックすると別なウィンドウで大きく表示されます。

ぶんよこ

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