今日は、登米まで行ってきました。登米まで行ったのは町を見物したかったのと、いろいろな「はっと」を食べたかったからです。
「はっと」は地方によっては「ほうとう」あるいは「ばっと」などとも呼ばれます。「すいとん」や「ひっつみ」などもほとんど同類の料理といっていいでしょう。いずれも、小麦粉の中力粉、いわゆる“うどん粉”を用います。登米では22日から24日まで、町内の「遠山之里」という物産センターで郷土料理「はっと」の屋台村が開設されています。会場の様子です。今日は風が冷たくて、戸外で食べるのは少し辛かったです。

「はっと」といっても非常に種類が多く、定番の「油麩(あぶらふ)はっと」を始めとして、「ニラはっと」や「カレーはっと」、さらには「牛筋肉入りモロヘイヤはっと」「するみ(サンマのすり身)はっと」「あずきはっと」まで10種類以上のバリエーションがあります。屋台村を拠点にして、町内の見物をしながら5種類の「はっと」をいただきましたが、どれもとても美味しかったです。
さて、このブログを読んでいる皆さんは“登米”をなんと読んでいますか。かつては登米郡登米町(とめぐんとよままち)でしたが、現在は登米市登米町(とめしとよままち)です。第4代登米館主伊達式部宗倫(むねとも)のときに、寛文事件いさゆる伊達騒動が起こりますが、なんとか切り抜けます。明治維新のとき奥羽越列藩同盟が薩長に敗れたために、第13代館主伊達筑前那教(くにのり)は8,000石の私有地を全て1,400戸余りの家臣に分け与えて帰農させました。仙台藩が62万石から28万石に減封されたり、会津藩が23万石から下北半島の斗南藩3万石に移封、挙藩流刑(藩ぐるみ流刑になること)という過酷な処分を受けて悲惨な運命をたどることになったのとは大きな違いです。
町内を歩いてみると伝統的な文物がよく残されていて、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。明治時代の洋風建築である、旧登米高等尋常小学校や旧登米警察署庁舎、江戸時代の武家屋敷など、さまざまな建造物がそれほど広くない範囲で見ることができます。この中から旧登米高等尋常小学校を紹介します。1963年(昭和38)に宮城県重要文化財に、1981年(昭和56)に国指定重要文化財になっています。

柱に古さを感じます。

ヴェランダのすぐ後ろが校長室だったそうです。ヴェランダに立つと全ての教室が見えます。

各教室は教育資料館として、教育に関する展示を行っています。これは蝋人形で再現した昔の授業風景。私の世代はこのタイプの机を使っていました。

今日はたまたまライトアップをやっていました。まだ午後4時なんですがこの暗さ、日が短くなりましたね。