仙台輪中 つづき
昨日につづいて「仙台輪中」にまつわる話です。
仙台藩味噌屋敷 その2で登場した伊達家三代藩主伊達綱宗公は、江戸幕府から命じられた堀川の堀浚え(浚渫工事)の際に、吉原通いが甚だしいということでわずか20歳で逼塞(ひっそく:門を閉じさせて昼間の出入りを禁じる刑罰)を命じられ、芝浜の上屋敷から東大井の下屋敷に移ります。この辺りからどうもキナ臭いにおいがするのですが、わずか2歳で家督を継いだ亀千代の後見人同士の争いに、なんとなく幕府の影がちらついて伊達騒動が起こったということは前に書かせていただきました。
さて、亀千代は成長して延宝5年(1677)に、綱村を名乗りますが、それに先立つ寛文11年(1671)に、父である先代綱宗の吉原通いが騒動の一因だとして遊里・料亭の城下追放を命じます。舟町にあった遊女屋を残らず塩釜神社の表坂下の町に移し、料亭は城下外すなわち「輪」の外に退去させました。当時綱村は幼名綱基を名乗っておりまだ13歳でしたが、トラウマだったんでしょうかね。
このとき国老が飲みに行く者たちのために粋な計らいをし、「輪」の中から一歩でも出れば在郷のどこで営業してもよいとしました。かつては新寺小路に二軒茶屋、下河原(新河原町)に五軒茶屋の地名がありました。
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