「荒城の月」の歌碑
昨日、妻が指導する合唱団とともに会津若松まで行ってきました。おかあさんコーラスの東北支部大会というのが鶴ヶ城近くの風雅堂というホールであったからです。私はステージにはあがりませんから、空き時間を利用して久し振りにお城を散策して来ました。
さて、「荒城の月」に関しては、歌碑が全国に4ヶ所もあるということで、いずれも「こちらが本家」というような意識を持っていて、対抗意識があるようです。ご多分に漏れず、この私も多少そんな意識があって、鶴ヶ城に行っても「荒城の月」の歌碑は見ずに無視しておりました。今を去ること35年前の小学校(仙台市立立町小学校:校歌は土井晩翠作詞)の修学旅行の時にも見ているはずなのですがそれも覚えておりません。
「荒城の月」は詩が晩翠、曲は瀧廉太郎です。晩翠はもちろん仙台出身ですが、旧制二高生時代に鶴ヶ城に来ています。「荒城の月」の着想を得た様については、1947年(昭和22)に瀧廉太郎45年祭に参列したときに放送された内容が”日本ペンクラブ”のホームページに全文載っているので、興味のある方はそちらをご覧ください。一部を紹介しますと、鶴ヶ城については「音楽学校から『荒城の月』の歌詞を命ぜられた時、第一に念頭に鶴ケ城が浮んだのである。」と述べていますし、青葉城についても「この名城も作詞の材料を供したことはいふ迄もない。『垣に残るは唯かづら、松に歌ふは唯嵐』はその実況である。」と述べています。
ですから、鶴ヶ城の碑も、青葉城の碑もどちらも由緒正しいといえるでしょう。また、滝廉太郎にゆかりの大分県竹田市の岡城址にある碑も正統いってよいでしょう。もう一つは滝廉太郎が幼少時代に住んだという富山県富山市の富山城址にありますが、こちらは少し弱いかな。でも、そんなことを争っても仕様がないですね。先ほどの瀧廉太郎45年祭の際の文章の最後を晩翠先生は次のように結んでいます。
全く弱り切つてる冬枯の日本も、いつかは春が來るであらう。この希望を抱き、在来のミリタリズムを振り棄てて祖国愛と人類愛とを兼ねる新天新地の理想を抱き、邁進すべきである。前途は遠いだらうが日本の復興は必ず来ることは私の第六感である。
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「荒城の月」の歌碑ですが、歌碑を写真に撮り、寸法を測ることを趣味にしている人によると、12ヶ所にあるそうです。県別では岩手県、宮城県、福島県、東京都、長野県、富山県、兵庫県、大分県だそうです。全国歌碑集とかゆう本があるそうですから(三万円と高い!)その本には正確に載っているでしょう。
コメント by 見発ちゃん — 2007/9/22 土曜日 @ 23:41:15